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アジア版三国志物語の幕開け

 「三国志」とは、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇した歴史を述べた興亡史です。

 時は移り、21世紀の今日、ウソかマコトか「今後数十年間は、アジアの世紀となる見込みがある」、ということが語られ始めています。   これからは世界におけるアジアの重要性が高まっていく、というわけですが、日本は社会主義を推し進める覇権国家・中国と、常軌を逸した反日国家・韓国という、 どうにも厄介でハタ迷惑な隣人を抱えています。

 日本を目の敵にしている中国、韓国との関係が今後ますます重要問題となってくるのは間違いアリマセンが、日本は性質の悪い両国と違う価値観を持つ、 規範意識の高い民族です。    昔から日本人という民族は相手がいかに強国であろうが一歩も引かず、 毅然として対峙することを繰り返してきた民族ともいえます。

 その昔日本を訪れた外国人も、日本についての好印象を書き残しています。 ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、 『シュリーマン旅行記 清国・日本』の中で、「....この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序がある....」、 と日本を絶賛しています。

 これからアジアの地で繰り広げられていくであろう、現代版「三国志」とも言える日中韓によるアジア版三国志物語の、 今後のストーリー展開を注目していきたいと思います。(2018.10.21)


反日国家は中国と韓国だけ

 中国メディアの一点資訊は、「どうして東南アジア人は日本人を恨んでいないのか」、と題する記事を掲載し、その中で、かつて日本はインドネシアやフィリピン、ミャンマー、 マレーシアなどの東南アジア各国を侵略し、「東南アジアは全部日本に占領されたと言っていいほど」なのに、中国や韓国のように日本を憎んでいないのは不思議だ、としています。   モチロン北朝鮮も入ります。

 その理由として、中国と韓国は「それまで侵略を経験したことがない独立国だった」からだと主張。 独立国ゆえに日本軍の侵攻に強く抵抗したが、フィリピンはスペイン、インドネシアはオランダ、 インドシナ半島はフランス、ミャンマーとインドは英国によってそれぞれ植民地支配が行われていたため、すでに侵略されていた地元住民には抵抗する大きな理由はなかったとしています。

 ほかにも、東南アジア諸国は強く抵抗しなかったため、旧日本軍も地元住民に残虐行為をしなかったこと、むしろインフラ整備や工場建設により地元の経済発展に貢献したことや、 地元住民からは欧州の侵略者を追い出してくれたことで感謝され、黄色人種でも白人に勝てることを気づかせてくれた存在となった、としています。

 中韓が盛んに日本はアジアを侵略した悪い国だったと日本タタキを繰り返しているにもかかわらず、好感度調査でも、日本は断トツのトップです。    中韓以外のアジア太平洋地域の諸国民は、中国、韓国よりもはるかに日本を好意的に見ているという事実が、 アジア解放という日本が果たした役割が広くアジア民族に理解されている証左なのでしょう。

 日本に対する感情というのは、中国、韓国とアジアの他国では大きく違う、というのは中国人自身も感じており、むしろベトナムやミャンマー、インドネシアなど多くの国では、 反中感情も根強く存在していると認めています。(2018.10.25)


韓国の「潜在敵国」は日本

 なにかと日本に対して反日感情をむき出しにする韓国ですが、2018年には日本の哨戒機に対して攻撃用のレーダーを照射 するなど挑発的な行動がエスカレートしています。

 実は、日本ではほとんど知られていませんが、韓国軍は以前から日本を脅威とみなす軍事強化策をとっており、そのため北朝鮮との戦闘に不可欠の地上戦力を強化せず、海軍や空軍の増強に力をそそいでいるとされます。    これを懸念した米国から警告を受けた歴史があるというのです。

 1994年12月5日の産経新聞は、《韓国軍の空・海強化計画 「日本脅威」傾き過ぎ 米共和党 次期議会で調査開始》という見出しの記事を掲載。    ウィリアム・ペリー国防長官が、韓国が日本を仮想敵として中長期の防衛計画を立てている実態を認め、韓国側に抗議したことまで明らかにしています。

 米韓防衛関係を長年、研究する米海軍大学院のエドワード・オルセン教授は、「想定可能のあらゆる事態に対応する軍事シナリオを考えるのが軍の任務だから、危険視する必要はないが、 韓国軍が日本を将来の潜在的脅威、あるいは仮想敵として軍事対処を検討しているのは事実だといえる」、と述べています。

 韓国も昔の軍人は友好的だったといわれますが、韓国が近代化により国力が増すにつれ、日本をライバル視するようになると、最近では『将来敵となる相手には個人情報は渡さない』と名刺交換さえ断られるといいます。    「旭日旗」を目の敵にし、ますます常軌を逸する「反日外交」を繰り広げつつある韓国の、 これからが気になるところです。

 台湾も韓国同様、1895年に清朝から割譲を受け統治されたわけですが、親日国家とされています。  その理由として、台湾からしてみれば、日本に割譲されることは、長い間抵抗を続けてきた清からの開放でもあり、 しかも台湾には王朝がなかったので、朝鮮のように李氏朝鮮という王朝を断絶させられた、というトラウマは抱かずにすんだ、という背景があったわけです。

 一方、朝鮮という国については、台湾と大きな違いがありました。  日本による台湾統治は黒字だったが、朝鮮統治は大幅な赤字であり、日本にとっては経済的にうまくいかなかったわけで、そうした状況のなかで、 復古のイデオロギー(政治・社会的に制約された考え方)により生じた軋轢が、つもりに積もって反日感情が形成されていった、とも考えられます。(2019.1.30)


 

いまでも中国に頭が上がらない朝貢国家・韓国

 そもそも、韓国は古代から自分たちを支配してきた中国には一切恨み言など言わないのに、 清の頚木(くびき・自由を束縛するもの)から朝鮮を解放し独立を認めさせた日本に対しては、なぜ憎悪をむき出しにするのでしょう。

 事大主義という言葉があります。  これは朝鮮史における朝鮮王朝のとった対中国従属政策を指し、 勢力の強い者に追随して自己保身を図る態度・傾向を表すという、韓国民にとっては真に屈辱的な言葉ではあります。

 韓国人は、たかだか35年統治した日本に対しては骨髄から恨むのに、 数百年以上も支配してきた支那(現中国)に文句一つ言えず、いまでも中国に頭が上がらない朝貢政治を続けています。     弱い相手には強く出て、強い国には逆らえないという、事大主義の国家体制から一歩も抜け出せない国なのです。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権が誕生した2017年以降、韓国は中国に媚を売り、 北朝鮮とは融和路線を突っ走るという 相変わらずの日和見主義を取りました。  北東アジアの安全保障体制に水を差す行動をとる韓国の民族性は、何年経とうが進歩しないようです。

 たしかに日本がアジア各地へ進出していったのは事実ですが、日本には「白人支配からのアジア解放」という大義名分があったのです。   ところが中韓は植民地問題という木の全体を見ようとせず、枝葉の部分だけ見て日本が侵略国だと非難しています。    それならば、当時世界中の有色民族国家を植民地支配していた「欧米列強国」に対し、どうして日本と同様の批判をしないのでしょうか。(2016.7.4)


シナの属国だった朝鮮を解放した日本

 韓国は少なくとも朝鮮時代(李氏朝鮮王朝時代、1392〜1897年)は、シナ(明や清・いまの中国)に属国として数百年にも亘り蹂躙され続け、 朝貢関係(奴隷など貢ぎ物を差し出し、見返りに王号や官職を授与される)だったという黒歴史があります。

 その清の属国として長年搾取されてきた朝鮮を独立させたのは、誰あろう日本だったということは誰も否定出来ない歴史の事実です。  腐敗にまみれていた支配者階級を一掃し、 奴隷制度ともいえる身分制度を解消させ、 朝鮮の劣悪な社会環境を改善し「朝鮮の独立を認めさせたのは日本」だった、という事実は動かせません。

 独立国韓国を誕生させた日本はいわば恩人のはずです。 韓国の常識派の李栄薫(イ・ヨンフン)氏は、 「韓国の近代化は(日本の尽力による)無賃乗車で成し遂げられたもの」であり、 国の独立も「自力」で成し遂げたものではない、と韓国人には耳の痛い鋭い指摘をしています。  その日本の功績は一切無視し、 偽りの「建国神話」まで成形し、日本を貶めるのはいただけません。

 さらに歴史認識を巡る評価の違いから戦後の日韓関係は大きく変貌。    自力では成し遂げられなかった独立というトラウマのため 韓国ナショナリズムをむき出しにした常軌を逸した「日本叩き」を仕掛けてくるようになり、 いまでは親日国から強固な反日国家へと変貌してしまいました。

 しかし、強い民族が弱い民族を征服するのが当然だった当時の世界情勢など一切無視し、 一方的に日本を悪者扱いにし非難して溜飲を下げるだけでは、今後関係好転は未来永劫望めませんし、互いの国民にとっても不幸が続くだけです。

 今の日韓関係からは想像も出来ませんが、韓国は戦後の復興期からその後の自力経済達成期までは、現在のようなあからさまに反日姿勢をむき出しにしてくることはありませんでした。    その頃は韓国人の大部分は日本に友好的で、市場に買い物に行くとおまけしてくれ、日本語を話せる韓国人は若い人から羨望の視線を浴びていた時代があったのです。

 1965年には、日韓は歴史観の違いを乗り越え、 互いが譲歩し合い、14年もかけやっと日韓基本条約までこぎつけました。    途中激しいやりとり等はありましたが、 最後には両者が歩み寄り、両国の外交関係の樹立、日韓請求権協定の締結により国交を正常化。   日本が総額8億ドルという経済支援金を支払い、代わりに韓国は個人・法人の請求権を放棄する 協定が結ばれたのです。

 金大中(キム・デジュン)大統領は1998年日本の国会で、『......歴史的に不幸だったのは、約400年前に日本が韓国を侵略した7年間と、今世紀初めの植民地支配35年間であります。   わずか50年にも満たない不幸な歴史のために、 1500年にわたる交流と協力の歴史全体を無意味なものにするということは、 実に愚かなことであります....。』、と演説しています。(2016.7.4)


中国文化の影響

 日本は大昔から中国との交流によって漢字などの文化を日本流に取り込むなど、中国文化の深い影響を受けてきたのは事実です。 いくら日本の中国に対する好感度がわずか9%といえど、 「日本の文化の多くが中国に由来する」、ことは確かです。  そのルーツは認めつつ、日本は単に中国文化をそのまま受け入れることはせず、日本独自の文化へと昇華・発展させてきました。

 中国メディアの今日頭条によると、現代中国語のなかには、明治時代に西洋の単語を日本語に翻訳する際に作られた単語が、中国に入って定着したものが少なくないといい、 こうした単語を使わなければ現代の中国語は使えない、とまで言われているといいます。

 日清戦争以降、中国の若者が大挙して日本留学を果たしましたが、そういう歴史も影響しているのかも知れません。

 一方で韓国では、「韓国の文化はあくまでも自国で生まれたものであり、中国人が韓国から学んだのだ」という意見があるそうです。    日本と違い韓国は「韓国は中国から学んだのではなく、自分たちが発明した」、と主張するところが最大の違いで、中国人からすると納得いかない部分があるようです。

 たしかに王朝がコロコロ変わってきた歴史の中国に翻弄されてきた韓国(朝鮮)とすれば、「大中華」であった明が滅亡した後、朝鮮は政治的・外交的には清に屈服したが、 文化的にはより高度な明の伝統を維持しているという自負もあり、 朝鮮のみが儒教の伝統を継承する 中国古来の中華思想の一種の変形ともいえる 「小中華思想」が朝鮮に根付いたとされます。 プライドは高いようです。


揺れ動く韓国の立ち位置

 韓国は2003年に左派政権の盧武鉉政権が誕生して以来、中国寄りの姿勢を見せアメリカの関係が冷え込んできたとされます。    この左派政権は、北朝鮮に対していわゆる「太陽政策」を採り、反米の姿勢を強く打ち出していきます。

 さらに、盧大統領はアメリカに対して戦時作戦統制権の返還を求めます。  実は韓国と北朝鮮は現在も朝鮮戦争の「休戦中」という扱いであり、終戦したわけではありません。   そのため、現在でも国連軍の代表格といえるアメリカは韓国軍に対して戦時下での統制権を握っているのです。

 盧大統領は、これを「返してほしい」とアメリカに訴えたわけです。  アメリカが韓国軍の統制権を持たないのであれば、在韓米軍は不要な存在となり、必然的に撤退の道を選ぶことになるでしょうが、 その場合、韓国は中国や北朝鮮の脅威に直に晒される可能性が出てきます。

 アメリカも一時「2012年4月までに返還する」と発表していましたが、盧政権が倒れ2008年に右派の李明博政権が誕生すると事態は変化します。    李大統領は、盧政権がつくり上げた流れに逆らうかたちで「統制権の返還を延期してほしい」とアメリカに請願したのです。  「韓国政府には戦時下で軍をコントロールするだけの能力がない。だから、返還は待ってほしい」というわけです。

 朝鮮半島は東アジア全体の安全保障につながる要の地域です。  アメリカは李政権に終末高高度防衛(THAAD)ミサイル導入を求めます。    これは、大陸間弾道ミサイルや中距離弾道ミサイルが北朝鮮や中国から発射された場合、初期段階で迎撃するミサイルです。    完全に迎撃することはできなくても、その分析などができるシステムとされます。

 2013年2月に誕生した朴槿恵政権際も「統制権の返還をさらに延期してほしい」とお願いします。 それに対し、アメリカは「アメリカと中国のどちら側につくのか」と迫り、 韓国はついに「アメリカを支援する」と述べざるを得ず、中国の南シナ海侵攻についても批判声明を出さざるを得ない状況に置かれます。

 当初アメリカのTHAADミサイル導入になかなか首を縦に振らなかった韓国も、「日米側につくか」、「中国を選んで北の脅威にさらされるか」という究極の選択を迫られ、 THAADミサイル導入に関して前向きの姿勢に変わらざるを得なくなります。  中国の南シナ海侵攻についても批判の声明を出さざるを得ない状況に追い込まれます。   韓国の「二股外交」も限界を迎えたといえます。(2019.1.6 Business Journal 引用)


白村江の戦いの真の目的

 655年、朝鮮半島で高句麗(こうくり)と百済(ひゃくさい、くだら)が連合して新羅(しんら、しらぎ)に侵攻、新羅は中国の唐に救援を求めます。    唐の高宗は660年、まず百済に出兵してその都扶余を落とし、義慈王は降伏して百済は滅亡します。

 その後、各地に残る百済の遺臣たちは百済復興に立ち上がり、当時倭国に滞在していた百済の王子豊璋(ほうしょう)の送還と援軍の派遣を要請してきます。

 そこで女帝の斉明天皇と息子の中大兄皇子(のちの天智天皇)は大軍派遣を決定。 661年、中大兄皇子は斉明天皇とともに筑紫(現福岡県)に出征。    同地で斉明天皇が死去するも中大兄皇子は天皇の座に就かないまま戦争を指導することになります。

 そしていよいよ662年に軍を渡海させますが、翌663年、朝鮮半島西岸の白村江は(はくそんこう、はくすきのえ)で唐・新羅の連合軍に大敗します。  これがいわゆる「白村江の戦い」と呼ばれるものです。

 この戦いでは、倭国水軍は唐・新羅連合軍と4度戦います。  倭国の兵は唐の軍艦が陣を敷いていたところに次から次へと突撃した結果、両側から挟み撃ちにあって多くの兵が溺死、 倭国の船400隻が焼き払らわれ、数万の軍はほぼ全滅したとされます。 捕虜となったわずかな人も、ほとんどは異国の地で亡くなったとみられます。

 倭国軍が大敗した原因として多くの歴史書では、唐軍が国家軍で訓練されて統制のとれた軍隊だったのに対し、倭国軍は地方豪族が配下の農民を徴発して連れて行っただけの寄せ集め軍であり、 ろくに武器も行き渡っておらず、実際の戦場ではまともな戦いは出来なかったためだろうと見られています。

 日本史の教科書では中大兄皇子は古くから交流のある百済を復興し、朝鮮半島における倭国の勢力を挽回しようと考え派兵を決断したと書かれていますが、 それでは豪族軍の寄せ集めでもって唐軍相手の無謀な戦争に乗り出した理由の説明がつかない、という説もあります。  寄せ集めの農民軍で唐軍に太刀打ちできないことくらい、事前にわかっていたはずだ、というわけです。

 たしかに、派兵に踏み切った時期は百済の遺臣たちが唐の進駐軍に対し各地で勝利を収めていたこともあって、勝てる可能性もゼロではなかったが、派兵には別の目的があった可能性も指摘されています。   その一つが、中大兄皇子が「戦争に負けても構わない」、「邪魔な豪族を戦争に送り込み、死なせてしまえばいい」、と考えていたというものです。

 645年の乙巳の変で蘇我氏本家を滅ぼし、大化改新と呼ばれる一連の政治改革で、天皇を中心とする中央集権国家の建設を目指していた中大兄にとって懸案事項だったのは、 中央政府の命に容易に服そうとしない豪族の存在だったといわれます。

 中大兄は白村江の戦いの後の668年、正式に即位して天智天皇となりますが、白村江の戦いで地方豪族の勢力が大幅に削減されたことから中央権力が地方に浸透しやすくなり、 670年には最初の全国的な戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)が作成され、徴税と徴兵が容易になっていきます。

 朝鮮半島に軍を派兵した目的が、地方豪族の勢力を弱め、中央政府の権力基盤を強化することだったとすれば、そのもくろみは思惑どおりに成功した格好となったわけです。(2019.2.1 Business Journal 引用)


漂流する北朝鮮

 米国との2回目の首脳会談が決裂し、さらに2019年4月にはプーチン大統領と初の顔合わせとなる露朝首脳会談が、ロシア東部ウラジオストクで行われましたが、金正恩委員長はアッサリ袖にされます。

 金正恩委員長とすれば、プーチン大統領に対して、「米国が一方的で悪意的な態度をとったため、朝鮮半島情勢が膠着状態に陥り、原点に戻りかねない危険な状態に至った」、 として責任は米国にあることを訴え、米国側に妥協を促す言葉や経済制裁の大幅解除を促す発言を得たかったでしょうが、プーチン大統領は一切、米国への批判を控えました。

 プーチン政権はウクライナやシリア、ベネズエラなどの紛争、化学兵器を使った英国での暗殺未遂工作、米国大統領選への不当な介入やINF全廃条約破棄などの軍拡競争などで、 米国や西欧主要国などとの対立を辞さない強気の姿勢が一貫しています。

 北朝鮮もそこに期待し、なんとかロシアを味方につけたいところだったのでしょうが、ロシアにとって対立の主戦場は欧州、中東であり、 東アジアの北朝鮮を優先してまで米国と対立するメリットは、今のところ無いとして見放したのでしょう。

 そもそも、両国の首脳会談はロシア側が約1年前に金正恩委員長を招待するかたちで提案していたとされますが、金正恩委員長は米国との関係改善を優先させロシアを後回しにしてきました。    それが米国にも袖にされた結果、今頃になってノコノコ泣きついて来てもロシアが消極的なのも当然でしょう。

 北朝鮮がロシアにすがりつくのは、経済制裁で追い詰められ、もはやニッチもサッチもいかなっている現状を一刻も早く打開する必要に迫られているからです。

 非核化を受け入れるわけにはいかない金正恩としては、米国との関係がさらに悪化する事態に備えるためには、どうしても米国を牽制できる中国やロシアという後ろ盾が必要です。

 しかし、中国は経済問題で米国と綱引きの状態であり、トランプ政権と揉めることは避けるでしょうし、ロシアも非核化という目標で米国と完全に一致しているとプーチン大統領は断言していますから、 両国からの援助を取り付けるのは困難な状況に北朝鮮は置かれているわけです。

 北朝鮮はこのままジリ貧となり経済崩壊していくのか、それとも八方塞りで破れかぶれとなり、再び日本周辺にミサイルをぶっ放し恫喝外交を再開するか、 いずれにしろこの国の先行きは暗雲が立ち込めています。  はたしてどのような結末が待ち構えているのでしょうか。(2019.4.27)





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関連サイト


コトバ学
(*1).....WGIP

War Guilt Information Program(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
米国が日本占領政策の一環として行った「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」。

日本政府も、相手が中国や韓国だと、たとえその歴史認識が明白なウソであっても「これまで政府関係文書には書けなかった」(政府高官) とされる。

(*2).....大躍進政策

毛沢東が1958年から1961年までの間施行した農業と工業の大増産政策。  過大なノルマによる経済の大混乱と、推計1,000万人から4,000万人の餓死者を出す大失敗に終わった。

(*3).....文化大革命

大躍進政策の失敗によって国家主席の地位を失った毛沢東が自身の復権を目論み、紅衛兵と呼ばれた青少年の政治集団を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むため起こした中国共産党の権力闘争。   1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言。  犠牲者は約2,000万人に達するという推計もある。

(*4).....天安門事件

1976年と1989年に起こっているが、日本では1989年のものを指すことがほとんど。
第一次(四五天安門事件)......1976年4月5日、周恩来追悼の為にささげられた花輪が北京市当局に撤去されたことに激昂した民衆がデモ隊工人と衝突、政府に暴力的に鎮圧された事件。 この鎮圧に先立ってなされた学生や知識人らの民主化を求めるデモ活動を包括している。 実際の犠牲者や逮捕者は不明。

第二次(六四天安門事件)......1989年6月4日、胡耀邦元党総書記の死をきっかけに民主化を求め北京にある天安門広場に集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、 中国人民解放軍が市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺し、多数の死傷者を出した大量虐殺事件。  実際の犠牲者や逮捕者は不明だがソ連の公文書には3000人の抗議者が殺されたと報告されている。

(*5)......大東亜戦争(だいとうあせんそう Greater East Asia War)

大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した、「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、 大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった戦争に対する呼称。

植民地化していた連合国側にとってはこの呼び方は都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。   その後1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。



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